オシャレなファストファッションを展開するアパレルブランド、H&M。「ファッションとクオリティを最良の価格でサステナブルに」というブランドコンセプトのもと、幅広い層の顧客に最適なメッセージを届けられるようなマーケティングを実施している。今回は、2018年に話題になった安室奈美恵さんを起用したキャンペーンの意図や今後見据えているコミュニケーション戦略について、ファッションブランドのマーケティングに携わってきた田原氏に話を伺った。

まずはじめに、田原さんのキャリアについて簡単に教えてください。

大学時代はファイナンスやマーケティングを勉強していたこともあり、新卒で就いた仕事は金融機関のインベストメントアナリストで、あおぞら銀行のグローバルファイナンス部に所属しました。理由としては、将来的に企業の経営に携わりたいと思っていたのでファイナンスの基礎知識をつけられる事、そして海外で働く機会を得られる事がありました。ロンドンで2年間レバレッジファイナンスの業務を行っていましたが、徐々に自分の仕事で直接生活者の行動やマインドを変えるような仕事をしたいと思うようになりCOACHに転職をしました。

COACH Japanへ入社した当初は、FP&Aの部署で競合分析や新店・新規プロジェクトのROI分析、P&Lのプロジェクション策定、カニバリゼーション分析等が主な業務でしたが、念願のマーケティングにキャリアチェンジを果たし、デジタルマーケティングとEコマースに携わることになりました。

そこでは、Eコマースの成長戦略の策定から実行、オンラインメディア予算の効率化、サイトエンハンスメントなどを行っていました。その後、マーケティング経験の幅を広げたいと思い、2年半前にH&Mに転職しました。

H&MではメディアマネージャーとH&M Clubのマネージャーを兼任しています。メディアの側面だと、トラディショナルメディアからオンラインメディアにおける、ペイドメディア全体のプランニングと分析を主な業務としています。H&M Clubについては、2017年の秋に立ち上げ、H&Mのファンづくりに励んでいます。

ラグジュアリーブランドとファストファッションという、アパレルブランドの中では対象的な経験をされていますが、両社のマーケティングにはどのような違いがあるのでしょうか?

まず、ファストファッションにも大きく分けて2種類のブランドがあります。1つ目が、商品の素材や機能性をプッシュしている「プロダクト重視」のブランド。2つ目が、ハイブランドの様な印象を与えるクリエイティブや商品のデザインをプッシュしている「ブランド重視」のブランドです。

H&Mにおいては、2つ目の「ブランド重視」ブランドといって良いと思います。そう考えると、ラグジュアリーブランドも、ファストファッションも大事にしている点は、大枠で言うと実は同じ部分が多いのです。ですが、ブランド発祥地の違いによるのか、私が経験させて頂いた2社に関しては、優先する考え方や文化が非常に異なっている、と感じています。

あくまでも、私個人からの見え方かもしれませんが、COACH(米国)の場合は数値や効率が最重要視されていましたし、H&M(スウェーデン)ではブランドコンセプトやブランドバリュー、全ての行動指針である7バリューなどに、より重きが置かれています。両社とも、もちろん顧客の事を一番に考えている、という事は前提としたうえでの違いです。

H&Mの提供するブランドバリューとは具体的にどのようなものなのでしょうか?

まずH&Mのビジョンを共有させて頂くと、「No.1ファッションデスティネーションになる」です。それを実現するための、ブランドバリューとしておかれているものが「Innovative & Progressive」「Personal & Human」「Exciting & Fun」の3つです。

例えば、「Personal & Human」に関しては、お客様がH&Mに対して親近感や自分にぴったりのブランドだと、思ってもらう事ですし、「Exciting & Fun」は、H&Mってワクワクするようなブランドで楽しい気持ちになるわ、と思ってもらう事です。

ブランドの3つのバリューを提供するためには、具体的にどのような施策を行っているのでしょうか?

H&Mは、ベビーからミドルエイジまで、幅広い世代のお客様にお楽しみいただける商品を提供しているので、お客様のライフステージや興味関心などに合わせたコンテンツを用意し、コミュニケーション媒体やセグメンテーションを最適化して、それぞれのお客様に必要な情報を届けるようにしています。

例えば、H&MにはDividedというティーンから20代前半のお客様の事を考えてデザインしているカテゴリーがあります。そのカテゴリーの新作が出る際には、若い層が好むコーディネートで、その層に支持されているモデルやインフルエンサーに着用してもらったり、エネルギー溢れるクリエイティブを用意しているので、保守的なママ層や30代以上のキャリア女性などには出来る限りそのメッセージは届かないようにしています。

H&Mというブランドについて、偏ったパーセプション(印象)を与えてしまう事がないように、コミュニケーションチャネルや媒体を選定し、メッセージを選んでブランドを伝えていくようにしています。そうすることで、ブランドバリューが提供でき、どのお客様にとっても、「H&Mは私のブランドだ」と思って頂けると信じています。

2018年に実施された安室奈美恵さんとのキャンペーンは、どういった戦略で行われたのでしょうか?

安室奈美恵さんを広告塔として起用させていただいたキャンペーンでは、H&Mのブランドメッセージを多くの方々に伝えることができ、それに共感頂いたお客様に足を運んで頂く事が出来ました。ファッションブランドとして、もちろん商品自体の魅力は必須ですが、それだけでは多くの方の心を動かすことは難しいと考えています。

安室さんは、幅広い多くの日本人の方々に対し、彼女の音楽や価値観、生き方を通して多くの影響を与えてきた方です。そんなロールモデルとして活躍されていた安室さんにH&Mの広告塔となっていただく事は、世の中にインパクトを与え認知されるというだけでなく、より感情の深いところでH&Mと顧客との繋がりを持っていただけるのではないか、と思っていました。そして、H&Mの、安室さんの様に人をインスパイヤー(鼓舞・激励)し、女性をエンパワー(活力を与える)出来るブランドでありたいというメッセージとも重なっています。

このような背景から、安室奈美恵さんという日本人女性にキャンペーンの広告塔になっていただきたいと思い、私たちの思いに共感頂いた安室さんからも承諾を得られたので、実現しました。

実際にキャンペーンの反応はどうだったのでしょうか?

とても多くの方々に喜んで頂けるキャンペーンとなりました。安室さんは、10代から50代まで本当に多くの方に愛されている方だったんだな、という事を目の当たりにしましたし、H&Mとのキャンペーンのお洋服を着て、ファイナルツアーに参加していただいたり、お店の前で彼女と同じポーズをとって写真を撮っていただいたりと、「安室奈美恵さんとH&Mとお客様」の関係を強く築く事が出来たと実感しています。

8月の第二弾では、安室さんにお客様と共にH&Mからも感謝の気持ちを伝え、新しいステージを歩まれる安室さんを応援するといったテーマでキャンペーンが実施されました。安室さんのキャンペーンを機に、新しくH&Mの顧客になっていただいた方も多かったので、お客様のショッピングエクスペリエンスを向上し、H&Mの継続的なファンになってもらうことにも、いつも以上に注力しました。

また、全てのストアでトレーニングを実施し、「こういう質問があった時にはこういう風に返して欲しい」という形で、本当に基本的なことですが、全てのストアで同じ回答が出来る、間違った対応をしないということを徹底しました。日本全国、約3,000人のスタッフがいる中で、全てのスタッフに画一的な対応をしてもらう事はなかなか難しいことではありますが、これも新しく来てくださったお客様がH&Mのファンになってもらうために実施しました。

安室さんを起用したキャンペーンで大成功を収めたH&Mですが、一方で、何か課題はあるのでしょうか?

興味関心に基づいた媒体やコンテンツの選択、アドテクを使ったセグメンテーションなど、デジタル上でのコミュニケーションの最適化は進んでいますが、イベントや屋外広告など、オフラインでのコミュニケーション全てを考えると、それぞれのお客様にコミュニケーションを最適化するのは、まだまだ難しさを感じています。

例えば以前実施した、20代女性ポップシンガーとH&Mのコラボレーションアイテムのローンチに合わせて、H&M渋谷店内をピンク一色に染めて、仮設ステージを作り、リアルなコンサートを行いました。「H&MってCOOL」と言ったようなポジティブな反応があった一方で、30代以上の女性にとっては「H&Mってやっぱり若い人向けね」と感じられてしまい、それが実際に数字にも表れてしまいました。その属性の購入意向を調べると、イベント後に低下がみられました。

オフラインでのコミュニケーションの難しさに加えて、大々的なイベントを行う際には、どうしてもそれを多くの人に届けたいというマーケッターの気持ちの問題もあるのかもしれません。このイベントでは、LINE LIVEで配信したり、ムービーをOwned Mediaで公開したりといった事も行ったので、興味関心や属性に関係なく多くの人に情報が届いてしまい、そのような結果に結びついてしまったとも考えています。

顧客をセグメント毎に切ってOne to Oneマーケティングを強化していくという事ですね。現在、何か取り組んでいる事はあるのでしょうか?

日本では2017年の秋にH&M Clubというロイヤリティープログラムをローンチしました。それまでは、H&Mに対しての好感度や購入頻度に関わらず、全てのお客様に対してサービスやコミュニケーションが全て統一されていましたが、H&M Clubを通して改善する事が出来ています。

H&Mの事を好きでいてくれるファンには、H&Mからもスペシャルな価値を提供していきたいですし、H&Mのブランド体験をお買い物を超えて楽しんで頂きたいと思っています。また、お客様のプレファレンスに応じて、購入されているメンズやレディース、キッズのカテゴリー別のディスカウントや、ブランドの価値体験など、今後はよりOne to Oneマーケティングを強化していく予定です。

ブランドバリューを優先して、自社のブランドや、ブランドに共感しているお客様を第一に考えると、長期的な取り組みも増えてくると思いますが、この短期的・長期的な成果を社内ではどのように評価しているのでしょうか?

H&M Japanでは、長期的なお客様との関係性の構築や、ブランドの確立に比重が置かれていますので、現在でも長期的な視点での取り組みを多く行っています。その評価に関しては、マーケティングのKPIではNPSやブランドへの好感度、親近感などを定点調査で見ています。

短期的な評価に関しては、トラフィックや、キャンペーン認知度、会員のアクティブ率、ブランド名のサーチボリューム&メンション数など定量的なものが多いです。

ありがとうございます!最後に、田原さんが考える未来のCMOに必要なものを一言で教えて下さい!

私もCMOの立場ではないので、アドバイスを逆に頂きたいくらいですが…「センス」が一番重要ではないでしょうか。例えば、お客様が求めていることを感じ取るセンスだったり、会社やブランドにとってその時に一番必要な選択や判断が出来るセンスや、人生を楽しむためのセンスだったり。色々な意味も含めてのセンスが重要ではないかと思っています。日本語で言うと、勘所みたいなことでしょうか。そして、それはインプットやアウトプットの量と質で身に着けられるものだと、私は信じています!

弊社が提供している マーケティングツール『b→dash』 は、マーケティングプロセス上に 存在する全てのビジネスデータを、ノーコードで、一元的に取得・統合・活用・分析することが可能なSaaS型データマーケティングプラットフォームであり、BtoC業界を中心に、様々な業種・業態のお客様にご導入頂いております。

Editor Profile

  • 福井 和典

    株式会社データX マーケティング管掌執行役員

    日本IBMにてシステムエンジニア、GREEにてCRM領域のオペレーション企画、PwCでの業務コンサルタントとしての経験を経て、2016年よりデータXに入社。データX入社後は、カスタマーサクセス部門に在籍し、小売/金融/アパレル/ECなど幅広い業種に対するb→dash導入支援を統括。
    その後は、主にb→dashのマーケティング/広報/PR活動や事業企画に従事。

Speaker Profile

  • 田原 美穂

    H&M ジャパン

    メディアマネージャー

    H&M Club マネージャー

    1983年、佐賀県生まれ。NY州立大学卒、早稲田MBA取得。あおぞら銀行グローバルファイナンス部のアナリストとして入社し、渡英。その後Coachジャパンへ転職。eCommerce及びデジタルマーケティングのシニアマネージャーとして従事。現在は、H&MジャパンのMediaとCRM(H&M Club)マネージャーを兼務している。関心事は、「ファッションテクノロジーで持続可能な未来の実現」と「女性のエンパワメント」。早稲田MBAの女性コミュニティーを中心にセミナーなども主催している。

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